【うつ病の症状・治療体験談】:役に立っているという実感
プロフィール: うつうつさん、53歳、元小学校教師、5年前から休職・復職を繰り返し、昨年の春に退職
小学校教師をしていました。いつからか子ども達とのかかわりがうまくいかなくなりました。気が付くと、うまくおこる事も出来なくなり、「まあいいや」と「これではあかん」の繰り返しばかりで、自分が何もできなくなっていました。
家でも明日が来るのが嫌で、遅くまで好きな本を無理して読んでいたり、イライラして家族に八つ当たりしたり、妻に暴力をふるったりする日が続くようになりました。
結局「自分は今、絶対におかしい」と自分で思うようになり、妻に「医者に連れて行ってほしい」と頼み、家の近くの「精神科」関係の社をあたってもらい診察を受けました。
結局「抑うつ神経症」という病名をもらい、とにかく休職をする事と言われました。それ以上に、カウンセラーの先生に居間での自分の事を話した後に
「今まで一人で辛かったんやね、しんどかったんやね」
と言われた時、思わずうつむいて涙がこぼれてしまいました。
それから5年、結局休職・復職を繰り返しながらも「なんとか復帰しよう」と思い続けてきました。しかし、「自分が特に体が動かなくなったり、体が動かなくなったわけでもないのに仕事に行けない」という事実は重すぎるほど重く感じました。
少しでも体を動かそう、基礎-正しく生活しよう、人のためになろうと思い、家事を始めました。しかし朝、ベランダで洗濯物を干している時に聞こえる革靴の音がたまらなくなりました。
「お前はどうして仕事に行かないの?」
「仕事なんて厳しいのが当たり前だよ」
「収入無いの?」
と靴音が言っているように思え、思わず、すべてをそのままにして、毛布の中に顔を突っ込んでベッドで倒れこんだまま過ごすこともよくありました。
死のうとしたことも何度かしました。
急に掃除機のコードを階段の手すりにぶら下げ、そこに首を突っ込みました。医者からもらった睡眠導入剤を何週か分もすべて酒と一緒に飲み、赤信号を渡ろうともしました。
しかし、「帰ってきた娘が一番に父の首をつっている姿を見るのはたまらない」という気持ちやあまりの痛さに首を抜いてしまいました。また、おもいっりのクラクションや運転手の罵声に思わず足がすくんで、歩道へと下がってしまいました。命は助かりました。しかし、「自分で死ぬこともできないのか」という自己嫌悪だけが残りました。
結局、休職が無許されている期間中には完治することなく、「早期退職」を決め、今は「専業主夫」として家事をすべて任されています。収入の方は結婚前から同業の小学校教師をしている妻に任せて、とにかく家の事を一生懸命しています。
しかし、自分に対する「不甲斐無さ」はなかなかぬけません。ただ、自分の作った食事で家族が安らいでくれたり、自分の稼いだ図書券が「チケットセンター」で現金になり、それでお米が買えたなどという、ささいな事が心の支えとなっています。今はとにかく、誰かの役に立つこと、そして、自分らしく生きる事、そしはてもう一つ一番大切にしたいことは、「自分が病気なったことで家族の役に立てている事」を実感することだと思っています。
共働きでなかなかできなかった、子ども達への「行ってらっしゃい「「お帰り」の声掛けさえ、今となっては大切な自信の一つとなっています。
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